BOKUDENというのは、剣豪・剣聖として知られた塚原卜伝のこと

塚原卜伝高幹(つかはらぼくでんたかとも)。延徳元年(1489年)、常陸国鹿嶋、現在の茨城県鹿嶋市に鹿島神宮の神官たる卜部吉川家の次男として生まれる。幼名は朝孝。父の卜部覚賢は神官であるとともに、領主鹿島家に仕える家臣であった。卜伝も幼い頃より、武人である父から鹿島流の武術を学んだ。

やがて、時期など詳細は不明だが、元服以前に鹿島氏の一族である塚原土佐守安幹に望まれて養子となる。養父塚原土佐守もまた天真正伝香取神道流の剣術に熟達しており、幼年の卜伝も香取神道流武術を伝授された。こうして、幼少時から剣聖となる素地は優れた指導者の下に育まれていった。朝孝は元服すると「塚原新右衛門高幹」を名乗り、ほどなく武者修行の旅に出ている。

20代も終わりに近づく頃、ようやく新右衛門は鹿島に帰還する。この時点で新右衛門の剣の技術はかなりのレベルに達していたと考えられる。しかし同時に、数多くの実戦経験や真剣勝負によって、精神的にはかなり疲弊していたとも伝えられる。その疲れた心身を癒すためか、あるいはさらに自らを研き鍛えるためか、新右衛門は幼い頃から信頼する松本備前守政信の下で剣の修行を始める。そのなかで、松本備前守の秘技「一の太刀」(ひとつのたち)を伝授されたという。

卜伝の実家である吉川家に伝わる肖像画『日本剣豪100人伝』(学研)よりイラスト化
卜伝の来歴はざっと以上だが、当誌BOKUDENが着目したのは、以下の点である。

1.戦乱の世に生まれ、武芸を磨きながらも、実戦39回(37回という説もある)を数えるが無敗のままで、齢83歳まで生きたということ。

2.武芸者にありがちな偏狭さがなく、実に弟子達の面倒見が良い師範でもあった。

3.立身出世に偏らず、ただひたすら剣の道を追究して歴史に名を残した。


ペンの力は偉大だと言う。確かにそういう気運もあったし、また、そういう時代も過去にはあった。世の中の腐敗や堕落をペンの力で告発し、平和を愛する文豪や文士と呼ばれるひとたちは、これまでに膨大な文化的遺産も残した。だがしかし、それでも敢えて言わねばならない。打ち続く戦争だけは誰も止められなかったことを・・・あのアフガンもイラクもそうだった。そうすると、「ペンは剣よりも強し」という諺は、昔のひとが考えた一流の教訓や比喩なのであって、ただ額面通りに爽やかな文章を書いているだけではダメなのかもしれない。

そこで、わたしたちBOKUDENは真剣に考えた。今の時代、さらに強い知性が求められている・・・

今の世界を斬るには、「ペンだけではダメで、本当は剣(のような鋭い知性)も要る」という発想をせねばならなかった。剣の使い手にも色々とあるけれど、世界を解釈して、また編み出していくには、文豪もいいけれど、剣豪に近い力業が必要になったのだと。それが、第一号の表紙にある『文豪の前の時代には、剣豪がいた。』というコピーである。これらのコンセプトを読者に共感いただけたら幸いである。

またBOKUには「僕」が、DENには「隠れ場所=書斎」という意味もある。もうひとつ付け加えるならDEN=denken(考える)といったところか、いずれもこじつけだが、編集部としては大まじめに討議したうえで決めたことだった。